展示・収蔵


相川考古館は、江戸時代伊勢崎町の町役人を務めていた相川氏の居宅を利用した博物館です。

江戸の始めから続く相川氏は、創業は不明ですが商家として金物を商っていました。また、伊勢崎町の脇本陣として、1639(寛永16)年から幾たびか利用され、1838(天保9)年には幕府巡検使内藤源助が休憩しています。

現在では、母家や土蔵、茶室など江戸時代に建てられた歴史的建造物を一般公開しており、茶室「觴華庵」は県重要文化財に指定されています。

その他にも、かつての商品倉庫であった金物蔵の土蔵には、考古館の創始者である相川之賀が多年にわたり収集した、伊勢崎地方から出土した考古資料等が展示されており、また重文収蔵庫には国重要文化財の埴輪、弾琴男子像、武装男子像、盛装男子像、広帯男子像4点が展示されています。

また、江戸時代からの古い人形や、伊勢崎銘仙なども数多く所蔵しており、数年に一度、企画展等の催しなどで一般に公開しています。


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現在、相川考古館では、母家や土蔵、茶室など江戸時代に建てられた歴史的建造物とともに、考古館の創始者である相川之賀が多年にわたり収集した、伊勢崎地方から出土した考古資料等を展示しています。

そもそも之賀は、1866(慶応2)年、旧伊勢崎町の金物商相川次郎平・はん夫妻の長男として生まれました。

10代の頃、東京の柳陰家塾で漢学を学びましたが、「これからは漢学の時代ではない英学の時代だ」と考え、「米国で学んで日本を東洋の日本ではなく、西洋の日本と呼ばれるようにしたい」と思い、1885(明治18)年単身渡米しました。

1893(明治26)年、一時帰国し、翌年榎本武揚の殖民協会や坪井正五郎の東京人類学会に入会、坪井正五郎先生を通じて帝国大学に人類学上参考用写真を寄贈。
その後も東京帝国大学にカナダ太平洋岸先住民関係資料を寄贈すると同時に、帰国の際には郷里でも考古資料を収集していました。

1914(大正3)年、家督相続のため帰国してからは、伊勢崎郵便局長や町会議員を務め、1921(大正10)年には群馬県史跡名勝天然記念物調査委員となり、県内の文化財の調査等に携わりました。

1936(昭和11)年、之賀は今泉嘉一郎博士・森村堯太氏らの協力を得て相川考古学館建設会を設立し、自身の経営する農園の一角に博物館建設を計画しますが、戦争のため実現しませんでした。

1950(昭和25)年、之賀が亡くなると、長女徹子は「公共に役立てよ」との父親の意志に従い柴田常恵先生や寺島裕の協力を得て、その年の秋10月15日に自宅に相川郷土館を開設しました。
後に名称を相川考古館と改め、さらに1993(平成5)年には財団法人相川考古館を設立し、今日に至っています。

之賀の収集した考古資料は、文化財として、美術品として、今も多くの来館者を楽しませています。

相川考古館では常設展示と、年に数回の企画展示とがあります。
常設展示は、江戸時代から続く建造物と、之賀の収集した考古資料です。詳細は以下の通りです。

相川氏居宅
江戸時代の町役人の居宅・脇本陣で、母屋・土蔵・店舗・稲荷社・茶室、収蔵庫などからなります。
母屋は玄関・内玄関・中の間・上段の間・入側がありますが、土蔵に接していた湯殿・厠・店舗、店舗に通じる茶の間・台所などは防火のために取り壊し、現存していません。
玄関には槍・袖がらみ・金物屋当時の写真や看板があります。玄関から中の間にかけての天井には、養蚕をしていた頃の名残りの換気孔を見ることができます。
(※養蚕はかつての伊勢崎での一大産業であり、伊勢崎銘仙など全国に名を残すほど有名でありました)

館蔵品の展示
かつての金物倉庫であった土蔵は2間半×7間の二階建。伊勢崎市周辺から出土した考古資料やカナダ先住民の資料を展示しています。
主な資料として米岡遺跡の石器・耳飾り・土偶、八坂遺跡の縄文土器・石器、伊勢崎市周辺地域出土の埴輪類、上植木廃寺の礎石・古瓦類があります。

【縄文時代】土器・石器・土偶・耳飾り角骨器など
【古墳時代】埴輪(円筒埴輪・形象埴輪)・剣・馬具・ 鉄鏃・装身具・人骨・須恵器、土師器など
【奈良時代】瓦・骨壺など
【鎌倉・南北・室町時代】板碑・鏡
【江戸時代】相川家関係資料
【明治時代以降】相川家関係資料・織物(地場産)伊勢崎銘仙とそれに伴う資料
【海外】カナダインディアン関係資料

収蔵庫の展示
国指定重要文化財4点
(弾琴男子像、武装男子像、盛装男子像、広帯男子像)

稲荷社 稲荷社は土蔵造りで、いわば耐火金庫といえます。

お茶室「觴華庵」 (下記に記述)

店舗ツꀀツꀀツꀀ 現在は、事務所として利用しています。

 

茶室「觴華庵」は、現存する江戸時代の茶室で、県指定重要文化財の二階建木造建築物です(平成12年3月21日 県指定重要文化財指定 重文第197号)。

1860(万延元)年に、相川杪保の隠居屋として着工、翌年1961(文久)元年に竣工したもので、元は数寄屋造木造杉皮葺きの二階建でした(現在では保存修理をしたため、銅板葺きとなっています)。

茶室は4畳半で、室内西に「踏み込み床」を設け、脇床と一続きにし、壁を塗り回しにした洞床と称するものです。
床板の中央やや北寄りに、直径約29㎝の丸炉を切り、床の北隅に扇状(46㎝×68㎝)の地袋を設けています。これらはとても珍しい作りとなっています。
天井は茶席、床、脇床それぞれ異なる技法で仕上げられています。
一階と二階は箱階段によってつながれ、二階は六畳一間、舟底天井で傾斜部分は網代天井、底部分は棹縁天井となり、建物全体に茶人の心がうかがえます。

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2007年1月より茶室保存修理が行われ、2008年5月に再び一般公開となりました。保存修理工事概要(pdfファイル、2.3Mb)
また、現在「觴華庵」は、開かれた文化財を目指し、茶道教室等の一般利用も行っています。利用活用の詳細はこちら